水瓜と天麩羅

唐突にフジロックロキシー・ミュージックがやっぱり観たくなり、朝から算段を取るものの、いくらなんでも当日の朝では全てが遅過ぎる。山の天気、ぬかるむ足元、雨の心配、交通手段。それと阿呆みたいなチケット代。ロキシーが日本でライブをやっているのに家に居てボーっとしてていいのか?
朝っぱらから途方に暮れる旦那が余りに不憫に見えたのか、家内が「そんなに行きたければ行ってもよし」とのお言葉を戴くのだが駐車場さえ確保出来たら即決なのに売り切れだそうで、始発の新幹線まで「フジロック最高!」とか宣う若い衆とどこかしらで時間を潰すのも、ただただ、かったるい。フジロックに行きたい訳じゃなくロキシーが観たいだけだからなあ。潔く諦める事にする...。


その代わり今度はこっちに行こうかと早めの算段。☞ http://www.metamo.info/
METAMORPHOSE 2010/2010年9月4日 (土) @伊豆・自転車の国 サイクルスポーツセンター
Mogwai ● X-102 ● Manuel Göttsching(the man behind E2-E4 and head of legendary bands Ash Ra Tempel) ● Omar Rodriguez Lopez Group ● Grandmaster FlashMoritz Von Oswald Trio featuring Vladislav Delay (a.k.a. Luomo) & Max Loderbauer (ex. Sun Electric, NSI.) ● The Album Leaf ● Larry Heard ● Darren EmersonDerrick May and more...
メタモは数年前一度だけ、独りで車で天城越えを唄いながら行ったのだが、朝から日帰り温泉に浸かって、アジの干物と山葵漬け買って帰った楽しい晩夏の小旅行だったのです。マニュエル・ゲッチンググランドマスター・フラッシュ。水瓜と天麩羅。確実に下痢しそうな食い合わせで心が踊る。

野外のモーリッツ・フォン・オズワルドはいいだろうなあ。デリック・メイとラリー・ハードとダレン・エマーソンて!3人まとめて!? 同乗者募集します。

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某アマゾンのYMOと鋤田正義氏の写真集のコメント欄がお祭りとなっている。
これ。


鋤田正義氏は多分自分くらいの年齢のロック好きであらばbowieとT.rexのスチールの人、となるわけで(若い頃一度だけ仕事を御一緒した事があって、厚顔無恥にも「bowieのheroesの銀色のポスターを部屋に貼っておりました!」と興奮しながらカミングアウトした際、穏やかな笑顔で話を聞いて頂いたりした...)その鋤田氏が撮ったYMOの一連がまとまるというのでちょっと気にはなっていた。
個人的には当時からYMOそのものの音楽に夢中になった事が無い。各人のソロは好きなものが沢山あるのだが本丸がどうにもピンとこない。一通り通過儀礼としては聴くものの3人の嗜好がバンドとして結実したものに食指が動かなかった。むしろ彼等の着ていたものや髪型とか、そういう側面が好きだったのだ。70年代末のUSプレミアム、ワールドツアーの頃。ブリックスモノのシャツ、BALLのセーターやペグトップのパンツ。YMOにまつわるもので一番強度のあるものはヴォコーダー声でも「胸キュン」でもなく、鋤田氏の「ソリッド・ステイト〜」のジャケット写真だから。それは刷り込まれている。
何故ならば音楽的には、ジョー・ザヴィヌルのアイデアのすり替えであったり、どう今更否定しても「クロスオーバー」というジャンルに括るしか無い初期から、中期の代表曲「cue」がultravoxを持って彼等の口から語られたり(当時のultravoxなんて駄目の象徴である)、散開の頃のライブにビル・ネルソンを起用してしまうズレた感じ。各人のソロは充実しているにも関わらず何故YMO自体に面白みを見いだせなかったのかはよく判らない。ファイアークラッカーマーチン・デニー云々という「コンセプト」が一番面白い部分って、実はそんなに面白いものでは無かったのかもしれないが、面白そうに見せる(聴かせる)のが実に巧みだったのかもしれない。そこはいまもよく判らない。
妄信的なマニアを生む類いの振る舞い方に(リリース含め)、ビートルズと同じマッシブな感じ?を備えている今、こういう危うい形態でレトロスペクティブ的なものをリリースしてしまった事の顛末は、出版社がYMOにまつわる厄介な輩をどれだけ内包しているか予測出来なかったという話につきると思うのだ。アマゾンでも出版社からの仕様が表記されているが、おざなりに淡々と「ザラ紙を使用しています」とか不思議な一文が添えられている事は、混乱を開示しているだけで逆に不誠実さを表しているかのようだ。
ブックデザイン自体は多分デザインを齧った人間がみれば許容範囲なんだろうと思う。自分の経験で言えばこういう時、編集者とデザインした者達はこの顛末を一笑に付すだろう。クリエイティヴィティに無理解な連中めら。声を荒げる購入者はお布施を返せと怒り狂う。もっと出来が良ければこの何倍でもお布施する覚悟がこちらにはあるのだと。そこに残るのは歓迎されない悲しいプロダクトとして積まれた本。
こういう事件性を意図したかしないかはどうでもいいが、とにかくYMOが興すものが何か眉唾なのは昔からかわらんなーというのと、もう前時代的だなあという感慨のみだ。