MAN ON WIRE

「夏休みの宿題は涼しい午前中にやりましょう」と言われた子供の頃の意味が最近になってやっと分かった。
夜は早く寝て、暑くなる前に起きて犬の散歩を済ませ、8時には仕事を始める日(歳)が来た。へたすりゃ午前中に仕事を終える。午後一くらいから知り合いの事務所にアイスを買って遊びに行ったりして。「なにやってんすか」と後輩に冷たく言われる。

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その後輩から使っていないという古いiPod touchを貰った。そのipodにはclash好きの後輩の趣味で”sandinista"と刻印されていて、そんなニカラグアだかの人民解放軍刻印、どうなん?
iPadが出た際に触ってみてもイマイチその革命とやらが理解出来なかったが、touchに触ってそのスムースな感覚に今更ながらびっくりして、それでiPadの意味も少し分かった気になった。数日前ネットのニュースで宮崎駿iPad批判が余りに辛辣というかそこまで憎むかという記事を読んで笑ってしまったが、半分は理解できる。ハヤオは正しい老人の姿であって、頑張っている茶髪の初老の方が見苦しい。

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「MAN ON WIRE」という映画を独り観る。
http://www.espace-sarou.co.jp/manonwire/

以前ツタヤで借りようか?となった際、何故か家内はあまり興味が無さそうであったので。大体において意味の無い命知らずな行為は女の人の琴線を撫で難いという事だろうか。

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果たして「綱渡り」がテーマの映画とは。それはロマンチックな一片の詩の様な映画であった。1974年、フィリップ・プティという男が今はもう無いワールド・トレード・センターのツインタワーのトップにワイヤーを張って渡るというプロジェクトの過程を追うドキュメンタリーを過剰な演出も無く、訥々と綴っている。勿論そこに居た若者達のその後の回想からの映像化なのだが、なぜだかアラン・ドロンリノ・ヴァンチュラジョアンナ・シムカスの「冒険者たち」と被さってしまった。同じ船に乗っていた無軌道な若者群像。
勤めていた会社のボスに「エッジぎりぎりを歩け、安全なところを歩いていちゃ駄目だ」と机の端を指でなぞりながら、グラフィックデザインに対する甘い気持ちに駄目出しされた事も思い出す。デザインで何かヘマしても死にゃしないんだからと、だから尚更死ぬ気でやれと言われた若い頃。プティのように地上110階の位置にてワイヤーの上に寝そべって(!)カモメと対話する、そういう特殊な空間に身を置くという凄さは複雑な高揚感と厭世観をもって、自分を打つ。



音楽も秀逸で、マイケル・ナイマンとエンドロールで見つける。サティはぴったりだけど、映画の最初の方でシドニーでの綱渡りのシーンでのバックにて、fleetwood macの「アルバトロス」が流れる。
雲間を音像化したかの如しの、このギターインスト曲をボンヤリと聴きながら、ギター弦がワイヤーであるならばあっちから渡って帰って来れたピーター・グリーンもman on wireではなかろうかなどとまた勝手に妄想するのである。