コクシネルと相対性理論

新宿ロフトの「DRIVE TO 2010」に行って来た。
とにかくもう、コクシネルと相対性理論

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2つのステージがあって小さい方でまずコンクリーツ。コンクリーツはvoの清水氏の飄々とした感じが昔と同じ。drのネズミ氏の風貌もS-KEN時代とあまり変わらない。懐かしい。でもこの懐古モードは次のコクシネルで吹っ飛ばされた。
天国注射のビデオでしか演奏を観た事のないコクシネル。生で初めて観た。セツの唄声がハーモニウムみたい。若い頃の真っすぐ刺さる様な印象とは違う、ビロードみたいな唄声。今日は東京仕様の編成なのかな。早川岳晴+石渡明廣+中山努という手練が素晴らしい演奏を聴かせてくれた。特にkeyの中山努氏のユラユラゆれる歪んだオルガンは素晴らしかった。デッドやヤングブラッズを思わせる演奏は対バンの手前インタープレイが短くて、もっとずっと1曲10分くらいで聴きたかった。最後の曲でセツのギターソロがあってそれを池田氏が煽る。ルー・リードが弾くみたいなソロ。「コクシネル」とパソコンで打つと「濃く死ねる」と出る。グレートフル・デッドという意味だ。そういうことか。今日分かった。(追記、コクシネルとはフランス語で「てんとう虫」だそうです)

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フロアを埋める、ほぼ相対性理論を観に来た若い子達は、どう思ったんだろう。古くさいロックと思ったかな。自分だって若い頃ストーンズなんて何がいいのかさっぱりだったし。相対性理論のギタリストが今回コクシネルを指名してきたらしい。ちょっといい話。先にそういう話がインプットされてた贔屓目もあって、ライブを楽しみにしていた。
既存の何かに例えてしまう癖は良くないのだが、仕方が無い。ピープル・ツリー好き故の弊害。そういう比較での順列で判断してはいけないし、否定する事で思考停止に陥る事ばかりなので敢えて、相対性理論をそういう例えで括るのは止めようと思った。何故なら彼等の文脈は自身が聴いて来たロックの理論体系とは違うとこから派生している気がするから。もっとコモンセンスな所から、破綻込み込みで最初から。そういうところから始まっている子達。
結論から言うとビックリした。もうヴァージョンが違う。入ってるOSが違う(笑。多分10年に一人、というか1バンド。よく言う10年単位でそういう人は現れるというロックの例え話。beckなんかが出て来た時に使われた。そういうものの気がする。
youtubeで見ていた時にはあまり分からなかったアンサンブルの着地点。youtubeだと多分ずっと分からなかった。やりたい音楽に向けての多大なる鍛錬と練られた思想。それを咀嚼出来る処理速度の速さを備えたアウトプットとしてのフロント(ウー)マン。よく居るJポップの音楽プロデューサー達に介入させたくない感じ。坂本龍一も好きらしい。そりゃやばい(笑。ワールドハピネス(笑。多分YMO周辺じゃ駄目だろう。ジェニーはご機嫌斜めって...。そういう切り口は電通クオリティじゃないですか。多分メジャー展開があったとしてそれは異物が介入するという事なので果たして幸せな結末を迎えるかどうかは分からない。だから3年くらい彼等だけでやっているという事なのだろうか。よく分からない事が多すぎて。
言い過ぎかもしれないけどよく言われているギタリストよりも個人的にはベースとドラムの方に目が行った。ベースの彼は細野さん以降の誰よりも、細野さんの次のベース弾きなんじゃなかろうか。言い過ぎですね(笑。

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やくしまるえつこのキャラに萌える程若くないのでなんとか踏みとどまっているが、演奏する3人と現代のアリソン・スタットン(すぐ例えるね結局...笑)の趣に、昨晩からずっと彼等について考えている。今日一日何を聴いてもしっくりこないです。困った。