映画「New York Doll」

思うに、心中穏やかでない時のほうがブログを更新する率が高い。今やらなくてはならない仕事等を後回しにしてブログの更新に「逃避」するからだ。最近は穏やかな日々が続いているのでそっちに向かわないだけだ、と、晴れやかな天気の今日思った。思ったのだがそういう詭弁を言ってないで更新しなくては。

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今日の午前中は動物病院に定期的に通う我家の犬を乗せて快晴の道を車をとばす。診察が終わると病院近くの駒沢公園に散歩に向かう。道すがら昼御飯を犬OKな店でとる事にする。駒沢に昔からある有名な某業界人カフェにて食事。こういうカフェ飯としてはここは美味しいと思うのだが、どうにもフレンドリー(?)な接客と客筋に馴染めない。食べ物屋さんなのだから店員さんがそのように香水がキツイのはどうにもイケマセン。若い頃、夜お茶などと称してダラダラとこの店で無駄に時間を過ごした事も今思えば楽しかった。チャラチャラしてたなあ。如何せんこの歳になるともう色々と放っておいて欲しい。我侭を言えば。犬連れで美味しいものが食べられるお店を探すのは困難である。



手頃なサイズの枝をいつもレトリーブして持って来る。流石、レトリーバー。もっといいもの持ってこい。totoの6億円当り券とか。

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レンタルDVDを2本観る。1本は80年代USハードコア・パンク・ドキュメントフィルム「アメリカン・ハードコア/American Hardcore」。black flagのグレッグ・ジンの「(シーンは)何も残さ(せ)なかった」発言の真意は深い。イアン・マッケイのストレート・エッジの概念は日本ではいまいち判りにくいだろうなあ。独りでヘッドフォンで観る。


もう1本は家内も一緒に。ロック好きな年上の人に勧められたこれもドキュメント映画。「ニューヨーク・ドール/New York Doll 」2005年。

アルコール依存症患者で物腰の柔らかい敬虔なモルモン教徒のアーサー・ケインは、ロサンゼルス郊外の図書館で勤務している。そのシャイな55歳のアーサーがニューヨーク・ドールズのベーシスト、アーサー・"キラー"・ケインと同一人物であることを誰が理解できたであろうか?何故彼はここにいて、当時とは想像もつかない暮らしを送っているのか?そしてある日、平凡な生活をしている彼の元に突如として30年ぶりの再結成の話が舞い込む・・・。(Amazonより)

不器用な元ロックスターのアーサー・ケインは特別な人間では無い。売れたロックバンドの数だけアーサーと同じ境遇の人達は居る。華やかでリッチなフロントマンの影でよく見えない。ベーシストなんて殆どそうだろう。J.P.ジョーンズやビル・ワイマンが特別なのだ。
アーサーはいつも再結成の夢を描きながら、市バスで仕事に通う。NYでリムジン移動だった若い頃がいまはLAでバス通勤の独身男性(これに実家で親と同居というのがヒエラルキーの最下層だと、そうであったタランティーノが言っていた)だとユーモラスに話す。自宅はドールズ博物館の如くポスターが貼られている。質に入れた愛用のベースギターの利息を毎年175ドル払い続けているのは夢である再結成の為だろう。観ている間、何とも言えない切ない気分になった。その夢は、ドールズの英国ファンクラブの会長であった*1というsmithsのモリッシーの手によって実現の運びと成るわけだがこれ以上は借りて観て下さい。結末は数奇な話なのだが勿論これはノンフィクションなのです。

*1:因みに昔、日本のRoxy Musicファンクラブの会長はヒカシュー巻上公一氏という事実。