私的名演見学忘備録 :vashti bunyan

最近ラジオを聴きながら仕事をするようになった。
interfm、夕方18時からの、この番組がお気に入りです。「ウルフマン・ジャック・ショウ」。

60年代から現在に至る長い年月の中で、最も有名なラジオDJと言っても過言ではないウルフマン・ジャックによる伝説のラジオ番組がデジタルリマスターで復活!1960年代以降30年以上にわたって43カ国、2,200のラジオステーションで放送されていた「The Wolfman Jack Show」。当時の放送のライブ感をそのままに、60's〜80'sのヒットチューンと共にお届けします。

だそうです。すごいな。良き時代の米国音楽の乾いた空気感が日本の夕刻、逢魔の時間に流れる。番組のジングルで、古今東西の名曲の中で歌われる「rock'n roll」という歌詞部分だけを繋げた数十秒があって、ああ、これは、あれだ。ヤン富田のアルバムの中の1曲で「love」という部分だけの唄を繋げた曲の元ネタということなんだと気付かされる。今はバックマン・ターナーオーバードライヴが流れている。ちょっとした小旅行の気分だ。おー、ティー・セットの「マ・ベラミ」がかかる。曲が気になって仕事にならない。

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その乾燥した埃っぽいロックとはうってかわって一昨日は、湿った英国の匂いが充満する東京ミッドタウンまで、ヴァシュティ・バニヤンの唄を聴きに出かけて来た。


会場のビルボードライヴ東京はsteely danこけら落としという、ヴァシュティ達にはそぐわない箱なのではと危惧したのもつかの間、彼女の煉瓦色の声色がマイクを通して店内に広がっていった時に心配は杞憂にと変わる。空気が一変する。痛快ですらあった。魔法を垣間みたようなそんな瞬間。サポートする3人の若いミュージシャンは無駄の無い演奏を聴かせ、訥々と呟くように唄うヴァシュティは齢65だそうで、約1時間のショウ(一晩に2回公演)は彼女にとっては精一杯の頑張りに見えた。曲前には簡単に詩の内容をシャイな面持ちで話す。好きだった男の子の事を唄った歌、田舎暮らしの事を唄った歌、彼女は身の回りのa small good thingについてギターをつま弾きながらそれはまるでダイヤの様な日々だと唄う。
フリー・フォークと名付けられた人種からの賛美と協力によって出来上がった最新作を聴くと、正に今がピークだと言っても許されるかの如くの素晴らしい音楽が記録されている。ライブはそういうエッジのマナーも持たせながら緩やかに進んでいった。
ただ一昨日の演奏の中で唄われたdecca、immediate時代、即ちスインギンな時代のロンドンにてヴァシュティが「バニヤン」をアンドリュー・ルーグ・オールダムによって名乗らせてもらえなかった時代の楽曲は、チャーミングなポップ(フォーク)・シンガーとしての残り香を嗅ぎ取ることが出来、それはジャガー/リチャーズのペンでデビュー(演奏したのはジミー・ペイジ、ビッグ・ジム・サリバン、ニッキー・ホプキンス、ジョン・マクラフリン他)という、何かが違っていたらポップアイコンに成っていたのかもという英国音楽のお伽噺をも想像させた。オールダムは「バニヤン」性を名乗らせなかったのはトウィンクルとかヴェルーシュカとか、そういうポップスター的な記号性を持たせたかったと推測する。ところが彼女はお人形では無かったという事なのだろう。


◉「vashti」時代、60年代後半


とはいえ元々はチャーミングな女の子のその後であるわけで、公演後のサイン会には皆の目はハートの形になっていた。まさかのサイン会に自分も不測の事態に備え、しっかりファーストアルバムの紙ジャケを持参している(笑。そういう所は抜かりないのだ。緊張しながら並ぶオヤジ達と湯川潮音を好きそうな森ガール達。オヤジ連中は皆レアな盤を持参しているのな。スゴイね。
自分の番が来る。ヴァシュティは眼鏡を外して自分を見て一言呟く。「lovely...」。んー、なんで?(笑。英国のバアさん達はラヴリーを頻繁に使うと聞いた事が有る。サインをもらって握手して、ポーっとなりながら家まで車をとばす。帰って家内に、俺「ラヴリー」って言われたというと、大笑いされた。