DOMMUNE

夕方の犬の散歩に外に出ると風が生温い。いろんなものが息吹くこの季節が好きではない。ひんやりした事務所に戻ると、生き返った様なこころもちになった。
おもむろに数ヶ月前に買って聴いてなかったpigbagのサードをかけてみる。発売年は1983年で、自分の中では1981年で英国ポストパンクの冒険の様なものは終わったという認識なのでこの盤は当時気に留めてなかった。B面の中盤あたりからがすごくいい。拙いミンガスの様なベースラインをサイモン・アンダーウッドは弾く。女性の声が入ったコールドファンク。といえばa certain ratioのsextetもそうだった。続けてEP-4が聴きたくなってきた。


Pigbag " Lend An Ear" Y Records/YLP 501/1983

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ここんとこ、DOMMUNE、見てます。DOMMUNE
興味深いコンテンツが並ぶ中、先日観たphewのケーキ作りはなにかがガラガラと音を立てて崩壊していく様な目眩を覚えた。脳内に建てられたノイバウテンがアインシュツルツェンデした。phewが誰だか知らずに観る若い子達より30年前の鬼っ子の彼女を知るものの昨晩の衝撃は、計り知れないだろうな。アナーキーな物言いにちょっと苦笑する。ずっと緩く怒っていなければ自我が崩壊するのだと思う。自分もそうだから判る。



phewが斜めがけしているクマのポーチを見てふと考えたのは、パティ・スミスに昔程興味を引かれないのは彼女の中のおんなのこの部分が年を重ねるごとに透けて見えてきて、ああこの人はそういえば旗を前線で振っていた奇妙な「女の子」だったんだよなと今更気づいたからだと思う。タレント性の強い男を伴侶にする才に長けた。ダイクやビッチの方が"おんなのこ"よりはロックンロール・バビロンに於いてはマシだ。なんてな。

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一昨晩はcrass storyと題した対談だったが、興を削がれた(いや。面白かった?)のは音楽評論家と活動家の2人の対話に全く接点が無かった、というか、crassをアナキズムコミュニズムで説いていくという(活動家の人のブログの何処へ向かっているのかいまいち判らないとことか、?なのは"reality asylum"を聴いた事が無いという話も含め)セオリーよりも行川和彦氏が放った一言「音楽的に駄目なものは俺興味ないんだよね」が逆に一番ラジカルに聞こえたからだ。ジンやグラフィティ云々からの見方とか(宮下公園のナイキ問題も)は、言い過ぎかもしれないけど、パンクがデザインネタだとかファッションの歴史のひとつのジャンルであるという奴らからの観点だろうそれはと思ったのだ。プライオリティは音の純度だろう。
dischargeと背中にペイントされたピカピカの皮ジャン着る洋服屋の男。クラウトロックjoy divisionやPILでTシャツ作って新作だと宣うファッションデザイナー。ピストルズのジェイミー・リードのデザインに影響されたとマガジンハウス辺りの雑誌で語るアート・ディレクター。火事場泥棒の如し。
何もこんな安い企画でcrassを認知させる意味があるのだろうか。DOMMUNEハニカムなんかと表裏である事を露呈したに過ぎないんじゃないか。あまり多くを語りたがらなかった行川さんと、「なんでも民営化は良くないよね!」とトンマな顔でフレームインして来た活動家の仲間の女しか印象に無い。