バカラック・トリビュート/ジム・オルーク

明日だか明後日だか、確かジム・オルークバート・バカラック集(というのか?)発売に当ってのライブがある筈だ。

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友人をやんわり誘ってみたが、うまく説明出来なかった。バカラックをジムさんの思うところのコンボで、各楽曲にあうと思うところの歌い手に当てはめて行われるライブらしいよと言ってみたものの、当たらずも遠からずという感じだ。間違ってはいないだろうが的を得ているとも思えない説明に友人は行くとも行かないともいわずに電話を切った。
先日レコード屋の店頭で何曲か試聴をしてみたそのアルバムは捉えどころの無い、薄味の、しかしながら妙に引っかかるものだったのだ。そしてそれが数日経ってからじんわりと頭の片隅に居座っている事に気づく。バカラックの楽曲の完成度がそうさせるのか、ジムさんのアプローチのせいなのか。一昨年、武満徹のトリビュートアルバムをジム・オルークは一枚出している。サンプル盤をレコード会社にお願いして戴き、愛聴している。武満とバカラックを同じ机上で考える。これはそういうものなんじゃないかと勝手に思っている。
雑誌で読んだこのカヴァー集についてのインタビューが面白かった事が引っかかる一因でもある。それはうろ覚えなのだが、ヴァン・ダイク・パークスは1978年までは自分の心の音楽を作っていたが、以降は「ヴァン・ダイク・パークス」に成ったという話。バカラックも同じく60年代はジム曰く「心にファイヤーがあった」が、70年代には自身がアイコン化される。人々が欲するものに成っていく。音楽家の経歴とはそういうものであるという話だった。

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実は10年程前、旅行先のSFで偶然にバカラックがコンサートをやっていて、独りで観に行った事がある。夜になると西海岸とはいえ皆がドレスアップしてやって来る。コンサート自体はシオノギミュージックフェアの如しといえば独りだけ短パンの自分は場違いだと想像できるでしょう。そしてその晩のショーは想像以上でも以下でもなく、只「バート・バカラック」であった。皮肉でも非難でもない。
バカラック/デイヴィッドの楽曲をグッディーズとして取り上げるのではなく、このプロジェクトはアイヴズや、シェーンベルクや、武満を掘り下げるかの如くやっているのだと思う。思うに数年前に日本にバカラックがコンサートで来日した際に、周りの良心的(?)な音楽ファンは皆こぞって駆けつけたのであろう。聴きに出かける価値は勿論有るだろうし、悪かろう筈も無い。だがそういう視線でもって作ってはいないであろうこのカヴァーアルバムの肝が何なのか、それはライブを観れば晴れるものなのか。



バカラック・トリビュート - ジム・オルークBillboard Tokyo