マイケル・ジラ


真冬の1986年に友人達と欧州を旅した。何日かは夜行列車の車中が宿という絵に描いた様な貧乏旅行で、3人組で東欧からパリまで。その道中は無軌道故、共産圏での正しい振るまいなど知る由もなく3人パトカーに乗せられたりもした。今思えばゾッとするものの馬鹿だから武勇伝のようにも思ったり、いくばくかの罰金で済む様な事はたいした事ではなく悪びれもせず。まあ物知らずの阿呆だったなあと。懐かしい思い出程度で良かった。

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立ち寄った壁崩壊前の東ベルリンは勿論まだオープンではなく、不穏な感じはなんとなく馬鹿な自分達も感じていた。我々はBrutusのベルリン特集号たった1冊の知識でクロイツベルクを散策したり、湿っぽい街中をうろつくうちに壁に貼ってあるコンサートポスターに目が留まる。swansの公演ありの告知で、今晩!となっている。自分は興奮してほかの2人を誘う。なにもすることがあるじゃなし、皆で出かける事とする。
安ホテルに戻って金目の物とか最低必要な現金以外は置いて行くことにした。だってベルリンの夜のライブハウスだから。どんな凶悪な奴等が集まっているか判らないじゃないですか(笑。プッシャーに絡まれるかも知れないよ。初めての海外旅行に無駄に緊張していたのだ。まあ今思えば安ホテルに貴重品置いとく方が物騒だったけど。

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なんというヴェニューか、どうやって場所を調べたのか、エントランスフィーが幾らだったかとか全く記憶にないのだが、とにかく我々は早く着きすぎた。だって日本は7時にライブは始まるからね。多分オープンしてすぐに入ったのだと思う。結局我々3人は3時間以上そのヴェニューに立ちんぼで待った。ガラガラだったフロアがぞろぞろと黒ずくめの輩で埋まって行く。記憶では目の前の異常なほど痩せた男が微動だにせず置物の様に待っている。それも2時間くらい。そうか、黙って待つんだなこっちでは。ひとつ覚える。緊張しながらポケットのパスポートをずっと触っていた。スリがいるかもしれないじゃないですか(笑。3人はその雰囲気にほとほと疲れて、ただ立っているのも辛くなって来た頃に後ろ辺りがざわめいている。ノイバウテンのメンバーが見える。ブリクサも居たかな。バッド・シーズのメンバーも居たか?都合良く記憶はドラマチックに刷新されているかもしれない。そんな中、ゾロゾロと暗い中をswansの連中が出て来る。
初期の"filth"が確か独のzensorから出ていたり、1stの"cop"も英国のサム・ビザー傘下のK422からのリリースだったりと欧州での契約があったswansはツアーで廻っていたのだった。ライブアルバムの"Public Castration Is A Good Idea"がこのツアーの記録として残されている。西ベルリン公演は収録されていないがメンバーはswansの中でも一番ラウドな時期だったと思う。マイケル・ジラとジャーボー、ギターはノーマン・ウエストバーグ、ベースにアル・キジス、ドラムはツインでテッド・パーソンズとロナルド・ゴンザレス。 最高の面子で最高の場所で観た。

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マイケル・ジラは粗野とホーリーなイメージを考えうる最高の調合にてパフォームする術を身に着けていた。発達障害のジム・モリソン、社会復帰に成功したヘンリー・ルーカス。そのようなネガな造語を演じる事の出来るジラは強烈だった。一貫してドラマ性を拒否する事に重きを置いた反復するアタックの強い音響は覚醒を呼ぶ。ノーマン・ウエストバーグの神経症の様なギターと、全く同じリズムを目配せしながらシンクロさせて叩くツインドラム。ジャーボーの鍵盤は全くの和音が鳴らされず一斉に鐘を非常識に鳴らす音にしか聴こえない。我々3人はアングリと口をあけたそのまま、ほうけた様な状態になってホテルに戻った。

その欧州旅行中に買ったNMEの広告に新譜"greed"の告知が載っていた。「マネー」コンセプトシリーズの始まりの時期でそこからswans/ジラは彼なりのポップアート的展開を見せるが、同じ時代に居たソニック・ユース程は認知されず、セールス的には惨敗に終わって行く。

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その後、自分が東京で仕事に着いて暫くした頃、swansは初めての日本公演を行った。メイプルソープの写真がアルバムカバーを飾る当時の最新作はjoy divisionとblind faithの落ち着いたカバーが収録されており、深淵はなぞりながらも初期の暴力的な印象は上澄みからは見えにくくしてあった。渋谷クアトロでひっそりと行われたライブでのジラは憑き物が落ちたかのようなつるりとした佇まいで余計に"昔怖かったひと"の印象を地味に漂わせていた。

マイケル・ジラという人には何か業の深いものをずっと感じる。米国の作家気質ともいえるレーベルのコンセプチュアルな進め方や、プロデューサー的な才も含めて実にキチンとしたアーティストには違いないのだろうが、宗教観の特異さというかカルト風の歪みみたいなものが露呈する所が自分には一番興味深い。何故だか判らないけど自分はソニック・ユースの事を全く好きでないのは、サーストンの実は"ティピカルなごく普通のアメリカ人"(の普通のノイズ"風"ロック)が、転がる床の安全を確認してからそこにダイブ、みたいな印象があるからかもしれないなとswansと並べて改めて思ったりもする。

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あの1986年の西ベルリンでの夜は、頭に杭を打ち込まれたみたいなショックで、深く自分の価値観のどこかを司るものであろうとも思う。旅行中買ったNMEのインタビューページを額飾して、引っ越しをしても部屋の何処か見えるところに25年置いている。ジラの粗野とホーリーとが同居する眼をたまに眺めている。


ジラ、25年前。

ジラ、現在。

SWANS Japan tour 2011
3/15(tue) Shibuya, CLUB QUATTRO
3/17(thu) Shinsaibashi, CLUB QUATTRO
http://www.contrarede.com/special/swans.html


SWANS "My Father Will Guide Me Up a Rope to the Sky" YOUNG GOD RECORDS/YG-43