3.11以降

震災以降、いろいろな物事に過敏になりすぎてどうにもうまく事が回らない。

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粛々と自分で出来る事だけをこなしています。世の人々の気持ちを摺り合わせると言う事がどれだけ難しい事かを毎日痛感する。原発を全廃、維持、推進、それぞれの立場で皆が毎日考えている。この摺り合わせを出来る能力を持つ日本人はいないのかな。第3者が介在する方が良いのかな。もう一発取り返しがつかない事態になった時、そこで方向が決まるのだろうか。それは最悪のシナリオだ。

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この一ヶ月程、twitterを毎日見るのが日課になった。twitterなんて暇人のやる事だと馬鹿にしていた。初めてtwitterの意義を知る事になったのは、リビアの情勢より上野のパンダが大きく扱われる日本のTV、ネットの報道を見てからだ。twitterがデマを拡散したり、恐怖を煽ったりという側面を持つも事実だが、限られた文字数の中で取り敢えずの”安心”を伝えてくれる人も少なからず居る事が目から鱗だった。それは原子力オーソリティ、学者や有識者だったり、景気の良い時代に1行書いて100万円という生業のひとだったりして、言葉にカームダウンさせる力を込める事の出来るそのスキルにここのところ改めて感心させられている。そういう呟きを毎日処方されるかの如く受けている。まあこの事態が正常ではないという事なんだけど。
その話を友人と電話で喋った。その友人は詩人の谷川俊太郎氏と仕事でおつきあいがある。「谷川さん辺りはこの状況に、なんて言ってるんだろう」と物見遊山な気持ちで彼に問うた。そうすると友人は「多分、自分で考えなさい、って言うと思う」と答えた。
その時、ああそうか、俺はそんな事すらも判らなくなっているのかと自分のこの混乱を恥じた。

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3.11以後、初めてライブハウスに出かけた。もうエーイという気持ちと、普段に戻すんだという気持ちと、少しの麻痺とで、当日券にて渋谷WWW(なんて読むのか知らない)というハコで灰野敬二石橋英子の対バンを観る事にした。
石橋英子のレコ発ライブという事でそちらのセットは今回のProdでもあるジム・オルークと山本達久のドラム、須藤俊明のベースというカルテット。
ほぼ定刻時に灰野さんが出て来る。3.11は灰野さんのトリオ「静寂」のライブの日であった。それ以後初めての人前での演奏(だそうで)。多分灰野敬二じゃなければまだライブにふらりと出向くなんていうのは躊躇していたかもしれないな。他力本願と言われても構わないので灰野さんを自分の3.11以後のはじまりにしたいと思ったのだ、大袈裟だけど。
鎮魂歌(の筈)のような、声をエフェクタで重ねたセットで始まる。最初に発した言葉は「いのりがよわい いのりがたりない いのりになにかまじっている」。この灰野さんの咆哮の中に、先週Dommuneで観たSalyu×Salyuのチャントの様な唄声、というか言霊のようなニュアンスにも同じものを感じた。言の葉の力。言葉を扱うというのは人間を幸福にするしその逆もまた。あたりまえのことに3.11以降、泥で固められた眼が開くかのような感じで自分は気づかされている。

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石橋英子のカルテットは3曲くらい聴いて、ライブハウスを出た。つまらなかったわけじゃなく、むしろ4人で紡ぐ音楽は水が染むように入ってきたが、濾過の順番がまだ違うような気がして、辛くなってきた。思ったより自分のいろんな機能がまだ不完全としか説明しようがないのだな。気持ちが脱臼しているといえば多分近いのだろうと思う。エーイ!